前編 計算通りいかないのは もう人生のスパイスみたいなもんだな

2018年1月10日

お猪口の渦巻きと偽名

2015年の12月の話だ

自分とエアー君は うちらの兄貴分と言うか親分というか 仕事先での上司ではあるのだが
改めて考えると どのような繋がりなのかと悩んでしまうが とにかく飲みに誘われたのだ

今回は親分と呼ぶことにしよう

ぐいのみ

親分は昔 柔道をしていたので がっしりとした体格をし髪も短く刈り込んでいるから見た目がイカツイ
年齢は 自分よりも3才ぐらい上か?

親分とは月一ぐらいのペースで会っては三人で飲んでいる

旨い日本酒や焼酎を良く知っている親分に自分もエアー君も酒を教わったようなものだ

今回の飲み会は三人での忘年会ということで駅に近い繁華街ですることになった

いつもの飲み会なら 自分とエアー君はお互いの住まいが近いので
一台の車に乗り帰りは代行を呼んで帰るのだが 今回は車で行くと少し距離があるし駅の近くでは有料パーキングに停めるしかないので金がかかる

電車で行けば安いし時間的にも30分ぐらいで目的の駅につく

途中で一度 電車を乗り換えなければならないが 子供じゃないんだ いくら普段 電車を利用しないとは言え それぐらい出来る

こうして自分とエアー君は時間を合わせ目的の駅へと向かった

この地域では利用者が一番多い駅なので降りると同時にクリスマスシーズンと忘年会が重なり浮ついた感じの人込みがあった

親分は少し遅れるということなのでエアー君が予約してくれた店に先に行くことにした

寒い外で待つ事もない 先に飲んじゃおうということだ

「忘年会シーズンで良い店の予約が取れなくてさ」とエアー君
「この時期じゃね 取れただけいいんじゃない?」と自分は答えた

店に入るとエアー君は店員に聞き慣れない名前を告げた

「エアー君…知らない人の名前が聞こえたんだが…」と自分が尋ねると
「ああ 俺 店に予約する時は いつも この偽名を使うんだよ」と誇らしげにエアー君は答えた

何だかな~と思いながら自分は それ以上 エアー君が偽名を使う理由には触れないことにした

店内は満席状態だ 予約をしなかったら入ることは出来なかっただろう
だが 所詮ギリギリでも予約が何とか取れた店

席に座り生ビールとフライドポテトを頼む が これが遅い
やっと生ビールが運ばれて二人で乾杯をし話をして一杯目の生ビールが飲み終わってもフライドポテトが来ていない

団体客が飲み放題プランで宴会などをしていれば多少はしょうがないのかも知れない

二杯目の生ビールとフライドポテトを待っているうちに親分が合流した

こうして男三人の忘年会が始まった

料理も飲み物も運ばれてくるのが極端に遅いが 食べて飲むのは楽しい時間だと感じる

自分は ほろ酔いになりながら店内を見まわす
どうやら この店は九州をモチーフにしているみたいだ

確かに馬刺しもあった
生ガキは食べた 運ばれてきた生ガキを見た時 やけに潰れて萎れていた
食べてみると臭みがあり自分は貝殻に入っていたポン酢を飲んで口直しをした

親分がメニューを見て この日本酒が旨いんだよと三人分注文をしたのだが待っていても来ない

しびれを切らしたエアー君は厨房に行ってしまった

帰って来たエアー君は
「飲み物とか全部 作ってあって置いてあるんだよ!運び切れてないんだな!」と言った

これは 混んでて忙しい以前に何か違うものを感じる

女性店員さんの胸の名札には 漢字で日本名の名前が書いてあるのだが
よく見ると店員さんは日本人ではない 話し方も片言が混じっている

中国 韓国系なので 傍目では日本人と区別がつかない
しかも 日本名の名札をしていれば なおさらだろう

名前は偽名だ

親しみやすさを出したいのか分からないが
偽名を使うということは相手を騙しているとも言えるんじゃないか?

偽名を使う事で本当の自分自身が失われ
個としての責任感が気薄になっているんじゃないか?

コンビニとかの配達のトラックには
この車の運転手は誰々ですと わざわざ名前プレートが張ってあるのを見かける あれは本名を出すことで責任感や仕事へのプライドを示しているんじゃないのか?

偽名では意味はないだろう

お天道様に顔向け出来ない後ろめたい やましい気持ちがあるから偽名を使うんだろう

人としての恥を知れ! わざわざ偽名あっ!
エアー君も偽名で店に予約していたんだ 人の事は言えない

自分が意味なく照れ笑いを噛み殺していると親分の頼んだ日本酒が運ばれた来た

親分は日本酒の入った陶器のグラスを持ち おもむろに喋りだした

「日本酒を飲むグラスや お猪口には内側の底に渦巻きの模様が入っているんだよ 何のために渦巻き模様があるか知っているか?」

自分は手に持っている陶器のグラスを覗き込む 青い渦巻き模様が底に見える

「知らないです 何で入っているんですか?」
自ら考えて時間を浪費するより聞いた方が早いがモットーのエアー君が間髪入れずに聞いた

「注いだ酒の にごりやゴミの有無が分かるようにだ」と親分は言い店員さんを呼んだ

確かに青い渦巻きが日本酒に浮かぶ小さな油やゴミを際立たせている

「汚くて この日本酒は飲めない 交換してくれ」親分に そう言われた店員さんは片言で謝り三人分の日本酒を回収して奥へと行った

改めて運ばれた日本酒のグラスを覗き込んで見る

先ほどと比べれば かなり浮いてるゴミが減っていた 単純にグラスの洗い方が雑なんだろう
もう この店で飲み食いする気にはなれない

「親分 前に親分が言っていた 刺身の旨い店に行きましょうよ」エアー君が提案した
「う~ん あの店 値段が高めだぞ」
「親分 お勧めの店なら行っとかないと」と調子よく合わせる自分
「じゃあ 行くか」
親分に多めに お金を出して貰い勘定を済ませる

店を出て人で賑わう繁華街を歩く アルコールが入り騒いでいる若者が多い 年末近くの街の風景だ

親分の言っていた刺身の旨い店は 雑居ビルの一階にあった

店に入ると入口からカウンターが真っ直ぐに伸びている
その先に座敷があるようだ 店自体は大きくない

自分達はカウンター席に座り 刺身の盛り合わせと 親分の選んだ日本酒を頼んだ

刺身の盛り合わせは 木で作られた見た目が下駄そっくりの皿に盛られてきた

正式名称を自分が知らないので下駄としか言いようがないのだが
その刺身の乗った下駄が1人1人に来たのだ

威勢の良い大将が うちは天然物しか使わないからよ~としきりに喋っている

自分が人生で今まで食べて来た刺身の中で最高に旨い刺身だった
旨い刺身があり旨い酒がある 実のない どうでもいい話も弾むってもんだ

気が付くと親分が終電で帰る時刻が迫っていた

自分とエアー君には親分を電車に乗せ無事に家にたどり着くようにする義務がある

忘年会などの付き合いで親分は ここ最近 家に帰るのが遅くなっていた
そのせいで親分の奥様が不機嫌だと聞いている

奥様が不機嫌になれば親分は飲みに行けなくなる
すなわち
自分とエアー君とも飲めなくなる これは困る
ちゃんと終電に乗り帰って頂かなければ今後に影響する

後編へ続く

般若

紙切れ